あなたが反抗され、ぶじょくされたとき不平をいうな、自分が受けねばならぬ罰を考えれば、どんな無礼もあまんじてうけてよいあなたである。
思いがけない苦悩と悲哀を受けることがあっても、自分はこれよりも大きな苦しみを受けるべきものであるから、なぐさめをもとめず、これに打ちかたねばならないと思え。それをのがれようとしてはならない。自分のおごった心をためなおすために、神がこの苦しみをくださったのだと考えて、すすんでそれを受け入れねばならない。「私がいやしめられたのはよいことだった、あなたのさだめを学ぶために」(詩編119・71)と主にむかっていえ。